温泉に関する学術団体・学会

温泉に関する学術団体・学会にどんなものがあるのか調べてみた。様々な温泉に関する団体はあるが、学術団体・学会と言えるのはどうやら次の4つのようである。なにをもって学術団体・学会とするか、明確な基準があるわけではない。学会誌を発行しているところは、学術的な活動をしているだろうということで学術団体・学会とした。日本語名のあいうえお順で並べた。ほかにもご存じの方がいたら教えてほしい。

温泉学会
欧文名 The Hot Spring Society
ウェブサイト https://onsen-ac.org/
設立年 2003年?
学会誌 温泉研究(年1回発行)
会員数 不明

日本温泉科学会
欧文名 The Japanese Society of Hot Spring Sciences
ウェブサイト http://www.j-hss.org/
設立年 1940年
学会誌 温泉科学(年4回発行)
会員数 不明

日本温泉気候物理医学会
欧文名 The Japanese Society of Balneology, Climatology and Physical Medicine
ウェブサイト https://www.onki.jp/
設立年 1935年
学会誌 日本温泉気候物理医学会雑誌(年2回発行)
会員数 1,797名(2023年4月)

日本温泉地域学会
欧文名 Regional Science Association of Spa, Japan
ウェブサイト https://onsenchiiki.jp/
設立年 2003年
学会誌 温泉地域研究(年2回発行)
会員数 不明

プロ棋士YouTuber

コロナ流行で在宅勤務になって、自宅でYouTubeを見る時間が一気に増えた。囲碁のネット対局もひさしぶりに始めた。囲碁に関するYouTubeチャンネルもこの数年でとても増えたと思う。そんななかで私がよく見るようになったチャンネル二つがある。

1つ目が、囲碁棋士 柳 時熏のGo Channelだ。柳時熏はちょうど私が囲碁を覚えた頃に、天元や王座をとったりしていて、雑誌にもよく出ていた。トーナメントに集中するために時間がもったいないから大手合を打たないのでずっと七段だというエピソードも覚えている。やはり柳時熏といえば、春蘭杯のときに小林覚にグラスで殴られたり、棋聖戦七番勝負で王立誠にダメ詰めで負けになったりという事件のことも忘れられない。あの2つの事件さえなければ、もっとたくさんタイトルを取っていただろうと考えてしまう。囲碁棋士 柳 時熏のGo Channelで面白いのは、10秒碁の実況解説だ。プロ棋士のチャンネルは多いけれど、プロ棋士同士の対局をいっぱい載せているものは他にない。勝った対局も負けた対局もみられるのがいい。しかも対局中にずっと解説をしているのがいい。こんな事を考えて打っているのかというのがみられて楽しい。対局中のつぶやきもいい。「これは負けられない碁になりましたね」と言っておいて「あいたたたたた」といって負けるのも面白い。

もう一つが、三村囲碁ちゃんねるだ。三村智保は、新鋭トーナメント戦で優勝したり、NHK杯で優勝して続いてテレビアジア囲碁選手権で李昌鎬に勝ったりと言うのが強い印象として残ってる。新鋭トーナメント戦と早碁選手権戦は、日曜日の早朝に日曜囲碁対局という番組でテレビ東京系で放送されていた。私の住んでいる岐阜では、テレビ愛知と岐阜放送の両方で放送されていた。テレビ愛知では朝6時から、岐阜放送では朝8時からで、放送時期がずれていて内容が違うので、2回見られた記憶がある。この三村囲碁ちゃんねるは、実は1年半ほど前に一度更新が止まっていたものが、3ヶ月前からまた再開されている。そしてその再開後に急にYouTuberらしい面白いチャンネルに生まれ変わった。昔は囲碁講座のような内容が中心だったのだけど、今は三村智保自身が考えたり感じたことをそのままの言葉で伝えてくれて、それが聞いていてとても面白いのだ。本や雑誌やテレビでは伝えられないプロ棋士の生の声は貴重だ。ホットなトピックを取り上げてもらえるのもいい。

三段撃ちの真相

「どうする家康」に連動して作られた番組をついつい見てしまった。長篠の戦いといえば三段撃ちだ。最近は、昔習ったものは事実とは違うんだと言われているらしい。どう違うのか気になって、YouTubeのビデオを見つけた。

こちらによると、順序よく三段に並んでではなくて発射の準備ができた者から早い者順で撃っていたということだ。さらにこちらによると、鉄砲隊の隣に弓矢隊がいて矢を放っていたようだ。

武田騎馬軍団が鉄砲隊に突っ込んでいってただただ撃たれて死んでいくというのは、いくらなんでも馬鹿だろうと幼いながら思っていた。実際のところはどうだったのかわからない。これからもいろんな説が出てくるのだろう。教科書も変わるのだろうか。長篠の戦いの前後はどうだったのだろう。

新東名高速道路に「長篠設楽原パーキングエリア」がある。上り線が武田軍の、下り線が織田・徳川軍をイメージした建物になっているらしい。そんなことは知らなかった。とても楽しいパーキングエリアなので、よく使った。それに岐阜と千葉を往復するのにちょうどいい位置にあるのだ。そういえば、「長篠の戦い」ではなくて「長篠・設楽ヶ原の戦い」と呼ぶことが増えてきているらしい。パーキングエリアの名前もそれに従ったのか、それとも設楽原にあるけれど、長篠の名前を入れようとしたのか、どちらかだろうか。

長篠設楽原パーキングエリア(ながしのしたらがはらパーキングエリア)は、愛知県新城市にある新東名高速道路のパーキングエリアである。
当PA周辺は長篠設楽原の戦いが起きた場所で[注 3]、下りPAからは隣接する織田信長本陣跡に徒歩で移動できる[1]。
上下線集約型ではないが、上り線エリアも下り線側に設置された(新東名の静岡SAと同じ例)[2]。建物については長篠設楽原の戦いにおける武田軍(上り線)、織田・徳川連合軍(下り線)のそれぞれ本陣をイメージしたものとなる。また、上下いずれにも、ヘリポート、ぷらっとパークが設置されている。

Nagashino Shitaragahara Parking Area

Nagashino Shitaragahara Parking Area

Nagashino Shitaragahara Parking Area

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