今年は元旦に家を出て、東京駅から、皇居外苑、霞が関、日比谷、銀座までを散歩した。正月らしさが味わえてなかなかよい散歩になった。
カテゴリー: 日記
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軽井沢万平ホテルのアップルパイとハッピーバレー
昨年ずっと気になっていた軽井沢の万平ホテルにいった。目当ては、カフェテラスのアップルパイだ。ジョン・レノンはオノ・ヨーコとともにこのカフェテラスに何度も足を運んで、アップルパイを食べたらしい。
その後は万平ホテルのすぐ裏手から続くハッピーバレーと呼ばれる石畳の道を散策した。このハッピーバレー沿いには川端康成やオノ・ヨーコの別荘もあったそうだ。雨のあとで、心地よい散策だった。
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森美術館「LOVE展:アートにみる愛のかたち」
森美術館に初めて行ったのがこの展覧会だったかもしれない。LOVE展のことは今もよく覚えている。とても印象深い展覧会だった。パソコンの中からその時に撮影したらしいビデオが出てきた。草間彌生《愛が呼んでいる》 というインスタレーションの新作だ。途中で撮影している自分自身が写っているのが懐かしい。撮影し他日にちを見ると、2013年8月15日なので、お盆の休みを利用して東京に遊びに行っていたのだろうと思う。
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手賀沼ディズニーランド
手賀沼ディズニーランドという計画があったらしい。50年以上前にディズニーランドを誘致するために手賀沼を埋め立てて作った土地に実は私はいま住んでいる。誘致合戦に負けた今となっては、全くその気配はない。碁盤の目のように区切られた完全な住宅地になっている。
自治会報にこの場所ができて50周年の記念の文章が載っていた。そこで私は初めてディズニーランドがもしかしたらできたかもしれない場所だったということを知った。その当時の計画図を見ると、私の家のある辺りにも、なにか建物ができるはずだったようだ。お城なのか、乗り物なのか、なにかわからないけれど、そんな場所になっていたかもしれない。
手賀沼湖畔というは100年ほど前は白樺派の文豪たちが住んでいた場所だ。私の家のすぐ近くにも志賀直哉や嘉納治五郎の家だった場所がある。白樺派の文豪の家の前でミッキーマウスやドナルドダックが踊っていたかもしれないということだ。誘致した頃は白樺派の時代の数十年後なわけだから、今以上にその雰囲気は強かっただろう。
東洋経済オンライン ディズニーランド逃した我孫子の残念な歴史 現在は上野東京ライン開業で存在感高まる
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水戸街道我孫子宿
私の住んでいる我孫子市には、かつて水戸街道の我孫子宿が置かれていた。その我孫子宿は小金宿と取手宿の間にある。我孫子宿の場所というのは、現在の我孫子駅の南に少し歩いたところである。東西におよそ1キロぐらいのようだ。
私の家から我孫子駅に向かうときには必ず旧水戸街道を横切る。たいていは駅前の八坂神社のところだ。夏には八坂神社の祭礼がある。そこから取手方向に歩いていくと、門松本店がある、江戸時代は松島楼という名前の旅籠だったそうだ。実はこの門松本店には、一度泊まったことがある。我孫子市に引っ越す前に、家を探しに来たときだ。いまは料理の美味しい旅館になっている。更に少し行くとかつて脇本陣のあった小熊家がある。今の当時の面影を感じる場所だ。