夏の夜は

*
Creative Commons License photo credit: yamaken

小倉百人一首の36番に

夏の夜は まだ宵ながら あけぬるを 雲のいづこに 月やどるらむ

というのを見つけた。当時の月は雲の裏に隠れていたのだろうか。夏は夜が短くて月の活躍することも少ないから、少々隠れていてもいいということなのだろう。ところで、明日は日食だそうで、今度はその月の裏側に太陽が隠れるということらしい。ややこしい。月も太陽も面倒くさい。

これは、清原深養父という人の歌で、ちなみにこの人

夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ

と歌っていた清少納言のご先祖様に当たるという。二人揃って難しい歌を詠むものだなあと思う。清少納言の言うとおり「夏は夜」が好きだ。きょうのように雨が降っているのはさらに好きだ。夏の映画で必ず雨のシーンがあるのはやはり雨の日が好きだからだろうと私は勝手に思い込んでいる。ただ暑いだけの夏は嫌いだ。日食で太陽が隠れても涼しくはならないだろう。エリカ様も日本に帰ってきたことだし、私も少し気になっている。

春すぎて

春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山

日本人ならこの歌ぐらいは知っている。持統天皇の歌だということも知っている。そしてこれが万葉集の「春過ぎて夏来たるらし白妙の衣ほしたり天の香具山」からきているということも知っているのだろう。万葉集のほうがいい、勝手に変えるなよ、なんて文句を言ういう人もいるらしい。だれど私は、小倉百人一首のほうが好きだ。藤原定家は偉いと思う。

そんなことはさておき、春が過ぎて衣替えの季節がやってきた。つい先日のことだが、冬の着物を干して押し入れにしまった。代わりに夏の半袖のシャツなどを出してきた。白い衣ではなくても、半袖のシャツもやはり干しておくものだろう。夏が来たのだから。

私の毎日はそんなこととは関係なく同じように過ぎている。時間が過ぎるのは早い。まさに「夏来にけらし」の気分だ。何も変わらないようでちょっとづつ変わっている。今日もまたノートの前のページを開いては書き直すなんてことを繰り返していた。藤原定家の毎日もこうであったかもしれない。だけど私の場合は、屏風の落書きが増えているだけなのだ。