「どうする家康」に連動して作られた番組をついつい見てしまった。長篠の戦いといえば三段撃ちだ。最近は、昔習ったものは事実とは違うんだと言われているらしい。どう違うのか気になって、YouTubeのビデオを見つけた。
こちらによると、順序よく三段に並んでではなくて発射の準備ができた者から早い者順で撃っていたということだ。さらにこちらによると、鉄砲隊の隣に弓矢隊がいて矢を放っていたようだ。
武田騎馬軍団が鉄砲隊に突っ込んでいってただただ撃たれて死んでいくというのは、いくらなんでも馬鹿だろうと幼いながら思っていた。実際のところはどうだったのかわからない。これからもいろんな説が出てくるのだろう。教科書も変わるのだろうか。長篠の戦いの前後はどうだったのだろう。
新東名高速道路に「長篠設楽原パーキングエリア」がある。上り線が武田軍の、下り線が織田・徳川軍をイメージした建物になっているらしい。そんなことは知らなかった。とても楽しいパーキングエリアなので、よく使った。それに岐阜と千葉を往復するのにちょうどいい位置にあるのだ。そういえば、「長篠の戦い」ではなくて「長篠・設楽ヶ原の戦い」と呼ぶことが増えてきているらしい。パーキングエリアの名前もそれに従ったのか、それとも設楽原にあるけれど、長篠の名前を入れようとしたのか、どちらかだろうか。
長篠設楽原パーキングエリア(ながしのしたらがはらパーキングエリア)は、愛知県新城市にある新東名高速道路のパーキングエリアである。
当PA周辺は長篠設楽原の戦いが起きた場所で[注 3]、下りPAからは隣接する織田信長本陣跡に徒歩で移動できる[1]。
上下線集約型ではないが、上り線エリアも下り線側に設置された(新東名の静岡SAと同じ例)[2]。建物については長篠設楽原の戦いにおける武田軍(上り線)、織田・徳川連合軍(下り線)のそれぞれ本陣をイメージしたものとなる。また、上下いずれにも、ヘリポート、ぷらっとパークが設置されている。