投稿者: 玉井 裕也

  • 竹細工部屋のこと

    家の中を掃除した。もうしばらく使っていない部屋を覗いてみた。埃まみれで、今は物置としか使われていない。その部屋は私が小学生の頃まで、祖父や曾祖父が竹細工をする作業場として使われていた場所だ。

    小学校から帰ると私はいつもそこへ行って一緒にテレビを見たりした。部屋の真中には囲炉裏があって、いつも竹輪を焼いてくれた。囲炉裏と言っても粗末なもので床板を外すと地べたが出てくるというようなものだった。そこで焼いた灰まみれの竹輪のことは今でも良く覚えている。

    その竹細工が「大桑竹細工」という名前で岐阜県の郷土工芸品に選ばれていることを最近になって知った。祖父らが作っていたのは、しょうけのようなものが主だったと記憶している。作ったものを買い付けに来る人がいたけれど、出来損ないなどは我が家で使っていた。今は何軒ぐらい竹細工をやっている家があるのかしらない。もうほとんどいないのかもしれない。

    その部屋を覗くたび、当時のことを思い出す。懐かしいなあ。

  • タイヤ交換

    タイヤの交換をした。新しく買い換えたわけではなくて冬用のスタッドレスタイヤから夏用のタイヤに替えただけのことだ。替えたというよりも戻したという方が正しいのだろう。何をするのも遅い私が3月中にタイヤの交換をしたのはちょっと誇らしい。

    夏用のタイヤはグッドイヤーのものなのだけど、冬用のはブリヂストンだ。特に理由はない。車のことはよくわからないし、どれも殆ど変わらないのだろうと思っていた。だけど実は今日ノーマルタイヤにしたら全く違ったことを知って驚いた。スタッドレスタイヤの時に気になっていた雨天時のスリップ感が全くないのだ。こうも違うものだとは知らなかった。やはりタイヤによってぜんぜん違うのかもしれない。私のような素人でも感じるのだからこれまで大げさだと思っていたことは大げさではないということだろう。

    そういえばスタッドレスタイヤのブランド名はかなりオモシロイと思う。ブリヂストンはブリザックなのだけど、これは語感で決めたのだろうとおもう。ブリザードにブリザック、ブリザックで(金銀財宝)ザックザク、という発想だろう。それからもっとかっこいい名前なのがトーヨータイヤだ。なんとガリットという名前をつけられている。ガリットのロゴもなかなかいい雰囲気を出していたと思う。覚えやすい名前だというのは、とてもいいことだと思う。覚えやすいという点でも擬態語や擬音語を駆使した名前が私は好きだ。

    タイヤの交換をするときに気がついたことがあった。タイヤはかなりすり減っていると言うことだ。前輪に使用していたタイヤはかなりタイヤの縁の部分が減っていた。摩耗という言葉がぴったりだ。そういうわけで前輪と後輪とを入れ替えて装着することにした。これでまた次の冬までは快適に走行できるだろう。その前に、ときどき変な音が聞こえるので、車の点検だけは受けておこうと思う。

  • 没後50年北大路魯山人展

    JR名古屋高島屋で北大路魯山人展をやっているというので行ってきた。実は去年21年の6月に岐阜市歴史博物館で魯山人の宇宙展をやっていたのに行きそびれてしまったのだ。それ以来、あの時のチラシが頭の中から離れなかった。

    魯山人につきまとうエピソードと、作品から私が得た感想は全く逆のものだった。魯山人は本当のところは立派な常識人だったのだろうと感じた。人にどういう印象を与えるかを相当に気にしていたように思う。何かからはみ出すということを極端に嫌っていたのかもしれない。加えて、魯山人は洗練された都会人だなとも思った。いろんな装飾のある器が多いけれど、どれをとっても全く嫌味がなくて上品なのだ。ここを越えたらダメになるという線を知っていて、それを決して越えない人なのだ。

    今回の展覧会のチケットにもあった金彩雲錦大鉢は期待通りに輝いていた。ただ個人的にもっとも圧倒されたのは昭和25.6年の作の書で、竹林図屏風の良寛の詩だった。魯山人は元は書家であるから当然ながらいいものばかりだから、どの書の前でも私は長いこと足を止めて見てしまった。

    そのとき、中学時代に私は書道部にいたことを思い出した。あの時もっとまじめに習っておけばと後悔した。自分がもう少しでもまともに書くことができたなら、今でも気楽に筆をとったり墨をすったりということもあったはずだ。それに今回も魯山人の書を見たとき、もっと強く感動できたかもしれない。

  • 九谷光仙窯

    九谷光仙窯

    愛情物語を見て、原田知世もいいけれど渡瀬恒彦はもっといいと思った。アイドル映画ではその相手になる俳優が大切なのだ。それはさておき、映画の中で「あしながおじさん」の居場所を知りたい主人公が、プレゼントの花束の送り主であるあしながおじさんの住所を花屋から聞き出そうとするシーンがあった。その住所というのが渡瀬恒彦が働く九谷焼の窯元という設定だ。そこはどうやら実際に存在する九谷焼の窯元らしいということがわかったのでいってみることにした。

    私が訪ねたのは九谷光仙窯というところだ。なかなか広いところだった。予約をして行ったので見学もさせてもらえた。なかには九谷焼の歴史などの展示もあったし、いろいろと説明もしてもらえたので勉強になった。これまで上絵のことをなにも知らなかったので楽しかった。それにしてもあの原色の色鮮やかな九谷をあんなにたくさん見られたのはよかった。海外でも大人気という九谷の秘密がわかったような気がして嬉しかった。

    絵付け体験コーナーがあったので、迷わず申込んだ。むずかしくてヘンテコになってしまった。青海波を書こうとしたのにグニャグニャになってしまい、まるで病気の金魚のウロコみたいなのだ。その湯のみもすでに完成して届いているので、そのうちにこのブログにアップしたいと思う。

    目的のもう一つである映画の舞台をたずねるという目標も達せられた。原田知世がかばんを置き引きにあった路地も発見できたし、渡瀬恒彦がひいていたロクロの位置も確認できた。実際にその風景の中に自分が立ってみたり、撮影の当時の光景を想像したりしするのはな楽しいものだ。面白そうな映画を見つけたらまたその場所を訪ねてみたい。

    九谷光仙窯

  • 愛情物語

    愛情物語という映画を見てしまった。わたしはずっと、こういう映画は見てはいけないと考えていた。角川春樹だとか赤川次郎だとか、そういうのは何のポリシーも持たない連中が見るものだと長いこと信じていた。だけどいつごろからかそういうのこそ見た方がいいんじゃないのかという疑問が増してきた。キーワードひとつで選んでしまう今は、マイブームということだろう。

    角川映画と言うのがまず、引っかかっていた。角川映画って一体なんなんだって聞かれても、うまく答えられる人は少ないだろう。だけど、角川映画ってああいうのだなとたいてい思い浮かべることはできる。「ああいうの」が好きになれなかったのに、今は大好きなのだ。不思議だ。角川春樹ってカッコいいとさえ思う。それから赤川次郎の小説と言うのも昔は好きになれない気がしていた。赤川次郎の小説そのものというより、赤川次郎の小説を読んでいるという人達が好きじゃなかった。クラスにかならずいる赤川次郎が好きな女の子って、自分とは決して話の合わない人たちだと思っていた。今更に好きになるというのはなぜだろう。

    それでこの愛情物語では例のごとく原田知世が出てくる。話の途中で脈絡なくミュージカルシーンが始まる。こういうのもおもしろい、と思うようになってしまった。設定の一つ一つが飽き飽きとするもので以前なら耐えられなかっただろう。そんなベタの波状攻撃に耐えられるようになったのは自分自身の成長のおかげだと考えることにしている。