世の中には二種類の人間が存在する。李白と杜甫である。私は杜甫だろうか。理想と現実とを往来する杜甫の詩には共感することが多い。
望岳
岱宗夫如何
斉魯青未了
造化鍾神秀
陰陽割昏暁
盪胸生層雲
決眥入帰鳥
会当凌絶頂
一覧衆山小
若き日の杜甫の様子が目に浮かぶ。その後、杜甫は泰山に登ったのだろうか。この気持ちをかなえることはできたのだろうか。泰山がどのようなもか、天下ははたして小さいものなのか。この詩は私のいまの気分をよくあらわしてくれているように思える時がある。
世の中には二種類の人間が存在する。李白と杜甫である。私は杜甫だろうか。理想と現実とを往来する杜甫の詩には共感することが多い。
望岳
岱宗夫如何
斉魯青未了
造化鍾神秀
陰陽割昏暁
盪胸生層雲
決眥入帰鳥
会当凌絶頂
一覧衆山小
若き日の杜甫の様子が目に浮かぶ。その後、杜甫は泰山に登ったのだろうか。この気持ちをかなえることはできたのだろうか。泰山がどのようなもか、天下ははたして小さいものなのか。この詩は私のいまの気分をよくあらわしてくれているように思える時がある。
1582年の6月2日に本能寺の変は起こったらしい。ということは1582年の今日の天下人とは明智光秀公だったのだ。本能寺の変が起こった成り行きについてはこれまでにもいろいろな物語が作られている。そのどれもがおもしろい。とはいえ、天下を自らの手に入れるという野望をついに果たしたのだと私は思っている。
同じ山県の出身ということもあり、明智光秀公に対しては以前から私は勝手に親近感を寄せている。三日とはいえ明智光秀公は天下を取った。三日でなくてもいい、三分でいいから天下をとりたいものだ。偉大な故郷の先輩を目標に、本能寺の変のため、私も準備を怠らぬようにしたい。
玉井裕也のブログへようこそ。ここは、私が日々の思考や記憶を記録している場所です。
今(2026年6月)、この最初の記事の前に立ちどまり、少し言葉を書き直しています。
私は時折、過去の記事を書き直します。これは過去の記憶を手繰り寄せる作業でもあります。読み返して温かい気持ちになる懐かしい思い出もあれば、今でも気恥ずかしくなるものもあります。検索されて誰かの目に留まる記事もあれば、誰からも見つけられないまま眠っているものもあります。しかし、そのどれもが地層のように残っていることも、個人でブログを続けるたのしみなのです。
たまたま何かの拍子にこの場所にたどり着いたあなたには、まずは「About(自己紹介)」のページをご案内します。仕事や研究といった公式な活動(yuyatamai.com)から、この場所の成り立ちまでをまとめています。少し覗いてみて興味を持ってくれたなら、ぜひまたいつでも立ち寄ってみてください。
ここでは、私のオンからオフまで、誰かの役に立つかもしれない知恵から、誰の役にも立たない数寄の記憶まで、気の向くままに書き綴っています。
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