今年の元旦は、実家のある岐阜県山県市にある明智光秀に縁のある場所に遊びに行ってきた。明智光秀が生まれた時のうぶ湯の井戸跡と桔梗塚というなまえがついている明智光秀のお墓である。近くにある明智光秀の義弟の明智孫十郎直経の墓にも寄ってきた。ちょうど今年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の舞台でもある。場所は「麒麟がくる」の観光ガイドにもまとめてあったのでそれも参考にした。
以前にも来たことはあるのだけど、今年は大河ドラマのこともあって、近くに旗が立っていてわかりやすくなっていた。明智光秀の生まれた産湯の井戸の跡とお墓は白山神社のすぐ脇で、駐車場も近くに作られているようだった。今年は観光客も増えることを期待してのことだろう。
明智光秀の誕生の地には諸説あって、誕生の地と名乗る場所は全国にいくつもあるようで、山県市もその一つだ。このお墓のある場所の近くの武儀川には「行徳岩」という光秀を身ごもったときに祈ったという岩があるらしい。
それから、生まれたときだけでなくて死についても色々と謎があるようだ。山崎の合戦で死んでいないという説では江戸時代まで生き延びて天海僧正になったという話は小説になっていたと思う。山県市のこのあたりでは、写真にもあるように、山崎の合戦では明智光秀は死んでいないということになっていて、死んだのは影武者の荒木山城守行信で、明智光秀は生まれ故郷のこの地に戻ってきて荒木の恩に深く感じて荒深小五郎と名乗っていたらしい。さらに関が原の合戦にも参じようとしたことになっているようだ。たしかに中学校の時に荒深という名前の同級生がいたのだけど、彼は明智光秀の子孫だったのだろうか。この近くには
明智光秀のお墓は桔梗塚という名前がついているのだけど、これは美濃の国主だった土岐氏と同じく明智氏も家紋に桔梗紋を使っていたかららしい。そういえば、私が通っていた大桑小学校の校章も桔梗だったし、山県市の花も桔梗だった。桔梗はこのあたりでよく使われてると思う。
井戸の跡。すでに井戸は埋められているようで、水を汲むことは出来ない。
明智光秀についての紹介の看板も井戸のすぐ脇にあった。以前来たときは看板等に苔がついていたのだけど、今はきれいに洗ってあるようで読みやすくなっていた。
お墓とお墓に通じる道。
近くに、明智光秀が生まれた庵の庭あとというのがあるようなのだけど、流石に山の中とあるので、正月早々コロンで怪我するわけにも行かないので諦めた。
少し車で離れて国道418号線沿いに出たところの神明神社の近くに明智孫十郎の墓も見つけられた。
この日はさらに、大桑城跡のある古城山にも行った。