手賀沼ディズニーランド

手賀沼ディズニーランドという計画があったらしい。50年以上前にディズニーランドを誘致するために手賀沼を埋め立てて作った土地に実は私はいま住んでいる。誘致合戦に負けた今となっては、全くその気配はない。碁盤の目のように区切られた完全な住宅地になっている。

自治会報にこの場所ができて50周年の記念の文章が載っていた。そこで私は初めてディズニーランドがもしかしたらできたかもしれない場所だったということを知った。その当時の計画図を見ると、私の家のある辺りにも、なにか建物ができるはずだったようだ。お城なのか、乗り物なのか、なにかわからないけれど、そんな場所になっていたかもしれない。

手賀沼湖畔というは100年ほど前は白樺派の文豪たちが住んでいた場所だ。私の家のすぐ近くにも志賀直哉や嘉納治五郎の家だった場所がある。白樺派の文豪の家の前でミッキーマウスやドナルドダックが踊っていたかもしれないということだ。誘致した頃は白樺派の時代の数十年後なわけだから、今以上にその雰囲気は強かっただろう。

Wikipedia 手賀沼ディズニーランド

東洋経済オンライン ディズニーランド逃した我孫子の残念な歴史 現在は上野東京ライン開業で存在感高まる

デイリーポータルZ 幻の「手賀沼ディズニーランド」を計画図と歩いた

まるごとeちば vol.18【我孫子市】「白樺派の文人等を訪ねる」コース

水戸街道我孫子宿

私の住んでいる我孫子市には、かつて水戸街道の我孫子宿が置かれていた。その我孫子宿は小金宿と取手宿の間にある。我孫子宿の場所というのは、現在の我孫子駅の南に少し歩いたところである。東西におよそ1キロぐらいのようだ。

私の家から我孫子駅に向かうときには必ず旧水戸街道を横切る。たいていは駅前の八坂神社のところだ。夏には八坂神社の祭礼がある。そこから取手方向に歩いていくと、門松本店がある、江戸時代は松島楼という名前の旅籠だったそうだ。実はこの門松本店には、一度泊まったことがある。我孫子市に引っ越す前に、家を探しに来たときだ。いまは料理の美味しい旅館になっている。更に少し行くとかつて脇本陣のあった小熊家がある。今の当時の面影を感じる場所だ。

葛飾県

明治2年になって、下総国はのあったあたりに葛飾県というものが置かれたようだ。現在の千葉県北西部、埼玉県東部、東京都東部や、茨城県西部に相当する地域だったらしい。県庁は流山市立博物館の近くにあったそうで、そこが葛飾郡だったから、葛飾県という名前になったとWikipediaには書かれている。そして、この葛飾県はその2年後の明治4年には印旛県に統合されて消えたそうだ。

葛飾は昔からある名前のようで、たしかに今もいろいろなところで葛の字を見る。私の住んでいる我孫子市も東葛地域と呼ばれている。葛飾北斎も葛飾の人らしい。そのあたりはずっと下総国で、そのあとも葛飾県となっていて、結びつきの強い地域だったのかもしれない。いまも東京都には葛飾区という区があるけれど、そこは葛飾郡や葛飾県のごく一部だったようだ。

地図を見ると、いまは、江戸川がちょうど県境になって、千葉県と、東京都・埼玉県が分けられている。だけど、葛飾県あるいは、下総国の範囲を見ると、昔は荒川が境だったのかもしれない。葛飾区史の地図らはそう見えた。そもそも今と昔では、川の流れている場所もちがうだろうし、埋立て等で増えた土地もあっただろう。

水戸街道は、武蔵野国千住宿を出たら荒川を越えて、次の新宿は下総国だ。その後の、松戸宿、小金宿、我孫子宿、取手宿、藤代宿までは下総国で、たぶん小貝川を超えた次の若柴宿は常陸国なのではないかな。小貝川が下総国と常陸の国の境目のような気がする。気になってきたので、調べたい。