テレサ・テンが好き

https://www.youtube.com/watch?v=_GrIji8yPGs

テレサ・テンの歌を好きなったきっかけは「荒木とよひさの明るく元気にヨーイドン!」というCBCラジオの公開録音を長良川国際会議場に行ったことだと思う。そのラジオの目玉はゲストであるコロッケのものまねライブだった。高校生の私の目当ても当然コロッケでそれは楽しかったのだけど、もっといい出会いがあった。舞台にはコロッケの他に荒木とよひさと三木たかしがいて、三人が歌ったり、トークをしたり、2時間ぐらいだったとおもう。「荒木とよひさと三木たかし」と来たら話題は当然テレサ・テンで、二人の尽きることのないテレサの思い出話は、本当に楽しかったし、ふたりのテレサへの特別な愛を感じることができた。

テレサ・テンを好きになり始めたときすでにこの世にはいなかったから、CDで歌声を聞くぐらいしかなかった。だけど、いまではyoutubeで気楽に映像を見ることが出来るのは本当に運がいいと思う。日本語曲だけでなくて中国語曲も検索すればいくらでもでてくる。なんていい時代なんだろうと思う。

そういえばそのラジオの公開録音の時にテレサの一番好きだった曲は「時の流れに身をまかせ」だと言っていたような気がする。そんな気がしているからか私の一番好きな曲もこの曲になってしまったようだ。クラシックを楽しむように、いろんなバージョンの「時の流れに身をまかせ」をyoutubeで見つけては聞いている。ちょっとづつ違うところがまた楽しい。これってほんとうに楽しいことだと思う。

九成宮醴泉銘

Suzuri 陶硯

本屋で、最新号のPenのが書道を特集していたので思わず買ってしまった。いつか書いたように、私は中学の時に書道部で、高校の芸術の授業も書道を選択していた。だけど、消去法的に選んだだけだったので、当時は上達しようという気持ちがたいしてなかった。そのせいで、いまも下手で、あの時間はいまとなっては何の達成感もない記憶にしかなっていない。そうはいってもやはり、美しい文字を書きたいと急に強く感じるもので、本屋でそんな本を見つけては手にとってしまうなんてこともある。

写真はというと、しばらく前に陶芸教室でつくった陶硯である。文房四宝のなかでだれでも簡単に作れるのは硯だろう。余っていた上信楽の土に黄瀬戸をいい加減に掛けてけただけのものだけどたぶん硯として十分に使えるとおもう。まだ使っていないのでまっしろなのだけど、ところで陸の部分というのは釉薬をかけるものなのだろうか。水滴がなぜかセットになっている織部の硯の写真を見ると釉薬がかかっているようなかかっていないような。墨をするにはザラザラしていないといけないような気もするし、筆が痛まない程度にツルツルでないといけないような気もするし。

せっかくだから使わなきゃと思ったので物置や押入れを探した。けっこう色々出てくるものだ。モノを捨てられない性格なので、古いものでも記憶に残っているものはたいてい家のどこかに残っている。何年も使われていないカチンコチンの筆が数本と、貰いものの墨が1本、そして練習用の半紙が二束も出てきた。そしてこの自作の黄瀬戸陶硯で御宝が四種そろった。見るからに習字教室時代のものと思われるラインの入ったフエルトの下敷きも見つかったし、意外になんとかなるものだ。手本もどこかにあったはずと本棚を探して見つけたのが、欧陽詢の九成宮醴泉銘だ。これはまた懐かしい物が出てきたものだ。

小学校や中学校の国語の時間にはいつも漢字テストがあった。マンガのタイトルみたいだけど、「トメ、ハネ」は大事だと習っていて、間違えるとバッテンがつけられた。それなのに、こういう書道のお手本をみると、滅茶苦茶なのだ。トメがハネになっていたり、ハネがトメになっていたり。妙に変だなあと思うと、一画抜けていたりというのもよくあった。変だぞ変だぞと、そんな事ばかり考えながら書いていた。さっきpenの書道特集を読んで、「なーんだ、好き勝手に書けばいいんじゃないか」と勇気が出てきたのだ。高島屋の魯山人展を見てからも書道をもう一度やってみたいなと思っていたところなのでいい機会かもしれない。

更に色々さがしまわったら書道の授業でつくった篆刻の作品まで出てきた。「2年1組玉井裕也」というシールが貼られたままだ。penの特集にあった王羲之の「奉橘帖」にしても蘇軾の「黄州寒食詩巻」にしてもハンコがベタベタ押してある。1月3日ぐらいに届く年賀状のようだ。決まりなんてないんだろう。芋判みたいなのもそこら中に押してあるので、こちらも実は好き勝手やればいいのだと感じた。ちょっとまえに買った唐詩の本から好きなのを選んで芋判を押せば完成だろう。陶印を作るというのもよさそうだ。

そういえば、あのころ、行書も何か書いていた。書家の名前は全然わからないけれど、本を読むと聞いたことのある名前がときどき出てくる。もしかしたら王羲之の蘭亭序だったかもしれないなあ。蘭亭序という名前は聞いた記憶がある。(苗字が一文字の中国人の名前はみんな書家に見えるし、詩人に見える。羨ましい。)楷書はまだしも、行書は本当に嫌いだった。頑張れば頑張るほどバランスの悪い文字になっていったことを思い出した。なんども叱られた記憶があるし、いまでも行書は好きになれない。それに引き換え九成宮醴泉銘はいいなあと思う。叱られたよりも誉められた記憶のほうが多い。カチンコチンの筆がほぐれたら書いてみようと思う。

ホームページ辞典

このところ部屋の掃除ばかりしている。マツイ棒を買うかもしれない。掃除するたびゴミは増えるのに、部屋は全く片付かない。それに3分おきに懐かしいものが出てくるから、片付きそうもない。

懐かしの「ホームページ辞典」が出てきた。なつかしいなんてものじゃない。大学1年生の定番「自分のホームページをつくろう」という授業のために、今は亡き大衆書房で買った本である。その授業から、私はホームページを作るようになって、テレホーダイの時間が待ち遠しい日々が始まったのだった。その頃のまさに座右の書といえるのが、この本だった。いま読み返すと「こんなの見つけたら笑っちゃうよ」という感じのサンプルだらけなのだけど、当時はこれをなんども読み返したものである。

そのほかによく見ていたのはWiredのWebmonkeyで、しばしばサンプルを拝借した。いまはどこに行ったのだろう。そんなネットサーフィンをするうち、ホームページという呼び方がダサい和製英語であるということを知り、今後一切ホームページなんて呼び方はするまいと思った。それに我が家のプリンターがヒューレット・パッカード製であったこともあって、ホームページをHPと省略している人がどうしても好きになれなかった。HPをわざとらしく「エイチ・ピー」なんて読んでいたのも今となっては恥ずかしい記憶だ。いまだに「ホムペ」や「メーリス」という呼び方に馴染めないのもそのあたりに理由があるような気がする。

閑話休題、実はそろそろ私もサイエンティストとして「ホーム」ページを作ろうと思いはじめている。ホームページと言ってももう何年もはウェブログしかやっていないのでHTMLなんてさっぱり分からない。「ホームページ辞典」が出てきたことだし「ホームページ」で行こう。進捗状況を報告するのでよろしく。