12月になってから喪中はがきが届くようになった。喪中はがきの差出人を見るたび、大人だなあと思う。喪中はがきを出すようになるなんてほんとうに大人だと思う。子供は年賀状を出しても喪中はがきは出さない。私の場合、小さい頃は喪中という概念もなかっただろうし、喪中でも年賀状を書いて出していたような気がする。年賀状は楽しいけれど喪中はがきは楽しくないと思っていたのかもしれない。楽しいとか楽しくないとか、好きとか嫌いとかではなくて、喪中はがきをせっせと印刷して出すようになった人たちは大人だなと思う。
年賀状だとたいてい一言は手書きを添えてくれる人が多いのだけど喪中はがきでそういうのはあまり見かけない。むしろ事務的にただ印刷して出しましたというふうにみえるほうが良いということになっているのだろうか。年に一度だけの連絡手段だったりもする年賀状の代わりなのだから、もっと楽しみの要素があってもいいのになんて私は思う。それでもときどきは手書きの喪中はがきが届く。たったそれだけのことなのにちょっとうれしい気持ちになる。喪中はがきでうれしいという表現は変かもしれないけれど、そんな感じだ。楽しい年賀状と同じように楽しい喪中はがきがあったらいいのにと喪中はがきを手にしながら考えたりしている。