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  • 教科書を読む

    教科書をよむのは本当に楽しい。教科書をよむのというのは、教科書を通して著者と自分が勝負しているようなものだ。碁盤をはさんで一局の碁を打つように、こちらが一手打つと相手がそれに応えて一手打ってくれる。教科書をよむというのはその一手一手の繰り返しのようなものだ。

    教科書に書いてあることが実は自分の理解を遥かに上回るものだったということがある。それが想像したこともないほどにとてつもなく広く大きなものだったということがある。そう気付かされて呆然とする。もう全く勝負にならないのだ。むこうから象の群れがやってきて逃げだす暇もなく一瞬で踏み潰されたような感じだ。ぺらぺらになった自分の亡き骸をなんとか膨らませてまたとぼとぼと歩き出そうとする。そうするとまた大きな象の群がだあっとやってきて今度も一瞬で踏み潰される。

    教科書を読むのってかなり楽しい。もっといろいろな教科書を読んで勉強しなければいけない。

  • 二種類の人間

    世の中には二種類の人間が存在する。李白と杜甫である。私は杜甫だろうか。理想と現実とを往来する杜甫の詩には共感することが多い。

    望岳
    岱宗夫如何
    斉魯青未了
    造化鍾神秀
    陰陽割昏暁
    盪胸生層雲
    決眥入帰鳥
    会当凌絶頂
    一覧衆山小

    若き日の杜甫の様子が目に浮かぶ。その後、杜甫は泰山に登ったのだろうか。この気持ちをかなえることはできたのだろうか。泰山がどのようなもか、天下ははたして小さいものなのか。この詩は私のいまの気分をよくあらわしてくれているように思える時がある。