一人でいろいろなことをしなければならないというのはやはり大変なことだ。
面倒くさいことでもやらなければならないことも多い。
食事を作るのが面倒くさければどこか外で食べればいいのだけど、外に出かけるのも面倒くさいと感じることが多い。
出前などを調べてみようと思う。
投稿者: 玉井 裕也
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一人暮らしも楽じゃない
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Pocket WiFiことD25HWを使ってみて
Pocket WiFiことD25HWをしばらく使ってみた。キャンペーンに乗じて使ってみることにした。とても便利だ。iTouchことiPod touch がiPhoneなのではないかというくらいに使えるヤツになった。パケット代を気にして控えめにしていたNokia N82からのウェブ閲覧も思う存分出来るようになった。
でも、便利だとしってしまったら欲張りになってきた。欲張りになるから不満も出てくる。まず、iPod touchはiPhoneではない。だから思い立ったらすぐにネットに繋がるわけではない。pocket wifiの電源を入れて、iPod touchの設定からWiFi設定をオンに切り替えて、それからようやくネットができる。これってスマートじゃない、けっこう面倒くさい。それにWiFiの機械としては劇的に小さいとは言っても大きい。ポケットにiPhone一つだけなら入れられるけど、iPod touchとPocket WiFiの両方を入れることはできない。右のポケットにはiPod touch、左のポケットにはPocket WiFiって、夢がない。
それからパソコンでネットを見るときにPocket WiFiというのもちょっと不満がある。屋内だからか通信(速度)がときどき不安定になる。こういうの実はイライラする。屋外でパソコン開いたり屋外でiPod touchって機会はめったに無くて、喫茶店とか図書館とかそんな時にネットに繋ぎたくなるものだ。そんな時に不安定だというのは嫌だなあ。
順調なときの表示速度についてはほとんど不満はない。家で使っているケーブルテレビからの無線LANと比較すればそりゃ速くはない。かたろぐによればpocket WiFiは最高で下り7.2mbpsで上り5.8mbpsらしい。実際にはそんなには出ない。でも光ファイバーでも実測値が1100mbpsではないことぐらい知っていると思う。そういうわけでそこまでの差ではないと思う。ダウンロードやアップロードをガンガンするのでなければPocket WiFiの通信速度は問題ないだろう。とくに画面の小さなiPhoneなどのスマートフォンでのウェブならなんの不満も感じないのではないかと思う。
エリアは想像以上に広かった。地図上ではエリア外とされているようなところでもじつは使える(エリア内)ということがよくある。エリアの境界線上のようなところでも繋がりさえすればいいのだ。つながれば問題なくネットできる。都心での問題点は私にはわからない。でも地方の(田舎の)人間にとって気になるエリアの広さという面では予想以上に良いと感じられるはずだ。
思いつくままに感動した所、残念な所をごちゃごちゃだけど書いた。ふと気がつくのはそもそも外出先でもネットに繋ぐ必要ってあるのかなということと、ネットに繋いでる時間って外出しているときは意外にも無いものだということだった。これまで外出先でネットが出来なくて不満を感じていたことが多いような気がしていたので、それが解消されればさぞ幸せになれるだろうと思っていた。でも実際にはそうでもなかったのだ。プリントアウトしたものを持ち歩けば問題ないし、そもそもパソコンでなければいけないこともそれがネットにつながっている必要もなかったのだ。そういうことを考えてみると、Pocket WiFiはいらないシロモノだったかもしれない。
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You don’t have to say you love me
「この胸のときめきを」という邦題のつけられているこの曲も私のお気に入りの一つ。この曲でなによりカッコいいのがこの歌い出しだ。エルヴィスの曲はみんな歌い出しのいいものが多い。そんな中でも特にこの曲は格別だ。「When I said」で一呼吸おいて「I needed you」となるところが何度聞いてもいい。そう思っているのは私だけではないみたい。
このイントロなしでいきなり「When I said」と歌い始める「この胸のときめきを」は、 その映画「エルヴィス・オン・ステージ」が大ヒットして、よくラジオでかかっていたのを聴いて買ったと思います。カッコイイー!!と思って買いました。
この胸のときめきを/エルヴィス・プレスリー | フカヤドットネットイントロなしで、いきなり 「When I said I needed you」 と歌い出す「この胸のときめきを」には、幼いながらに何か痺れるものを感じていました。
私はただ単に、この曲の始まりが好きだったんです。
You Don’t Have To Say You Love Me | マイケル・ジャクソンに想う「ELVIS 2ND TO NONE」のライナーノーツによればこの曲は「It’s now or never」「Surrender」などに続くカンツォーネ・カバーということらしい。このシリーズはみんないい曲ばかりだ。ちなみに「You don’t have to say you love me 」という英語版を歌って最初にヒットさせたのはダスティ・スプリングフィールドで、こちらもいろんなコンピレーションアルバムに登場しているので聞いたことのある人は多いはず。私はエルヴィスバージョンのほうが好きですが、みなさんはどうですか。
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CanCam!?
おいおい。CanCamってなんだよ。キャンキャンっていうからCanCanだとずっと思ってきたのに、CanCamって。これじゃ、キャンキャムだよ。あわてて姉キャンを調べたらAneCanなんだってさ。Canを取るかCamを取るか、難しい問題だよねって気になったのに、説明もなくAneCanと言われて納得できるはずもない。
このCanやCamって何かを省略したものなのだろうか。絶対にそうあって欲しい。意味もなく語呂だけでCanCamって名付けたのだったらかなりのものだ。Can=(助動詞)できる、Cam=Camera、と瞬間でも感じてしまった私はどうかしている。それでも何の意味もなくいきなり「キャンキャン」をひねり出したというのではどうにも納得できない。なにか理由をつけて欲しい。
そういう意味でJJなんてもってのほかだ。JJという言葉を暗誦するたびに頭の片隅にフッと浮かんでくる川平慈英兄弟を消すにはJとJに何か意味付けが欲しいのだ。JapanJapanでもJoshiJoshiでもJaraJaraでもいい。どんなにくだらなくてもいいから。どうして同じのを繰り返してしまうんだろう。発音が同じなら元の言葉も一緒であって欲しいと思うのだろうか。そういう点でもキャンキャンがCanCanでなくCanCamだというのはやっぱり不思議なんだよね。
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家を借りた
家を借りた。
とりあえず生活ができるようになるまでいろいろな準備しなければいけない。
面倒くさいけれど、その後は楽しいはず。