Tag: 陶芸

  • 根津美術館へ

    Poster

    はじめて根津美術館へ行ってきた。ずっと行きたかったけれどなかなか機会が得られなかったのだけど、いざ行ってみると期待以上によくて、無理してももっとはやくに時間を作って行くべきだったと感じた。そう思える場所が増えていくのは、東京へ行くときの楽しみが増えてうれしい。

    肝心の企画は「中世人の花会と茶会」というコレクションからの展示で、唐物が大切にされた時代のものが中心だった。ポスターにある、無一物という長次郎の赤楽茶碗が見ものの一つなのだろう。でも、いわゆる楽茶碗の良さは相変わらず僕にはよく解らなかった。

    赤楽茶碗 銘 無一物 長次郎作 【特別出品】
    赤楽茶碗「無一物」は、黒楽茶碗「大黒」とともに、陶工・長次郎が千利休の意を受けて作り上げた茶碗の代表作。端正な半筒形で赤い土は、手に柔らかさを感じさせる、最高の茶碗といわれている。

    という説明を読むたび、(この説明文は使いまわしなのだろうか。そこらじゅうでもう何度も読んでいる気がする。)、誰が最高だと言っているんだ!?と言いたくなる。歳を重ねないと楽茶碗の良さは分からない、なんていう文章を見かけたときもあって、胡散くさい事を言う人だ、本当に良いと思っているのか怪しいな、とすら思ってしまったぐらいで、僕には何年か何十年か経っても楽茶碗カッコイイという気持ちになるような気は(今は)しない。それと同じような感覚は今回もいくつか並んでいた茶入にもある。特に文琳という形の茶入はカッコイイのかどうかまったくわからない。(肩衝も実はほとんどわからない。)

    その一方で、これまでよく解らなかったものでいいなと思うようになったものもあった。ポスターの上の方に載っている砂張の釣舟花生だ。金属っぽいものはカッコイイと思うことはこれまでにもあったと思うけれどもなんだかよく解らないという感じだった。だれど今回は、こういうところがカッコイイのじゃないかというのがちょっと解ったような気がした瞬間があったのがうれしかった。

    そのあと庭を少し歩いた。とても広い庭で、ところどころ茶室があっておどろいた。せっかく茶室があるのに、障子も雨戸も何もかも閉めきってばかりだったのは勿体なくて見えなかったのは残念だった。ものすごくたくさん人が来るのだから我慢するしか無いのかもしれない。

  • あけましておめでとうございます

    Ceramic Kagami Mochi

    あけましておめでとうございます。去年つくった陶器の鏡餅を床の間に飾った。蜜柑が大きくて不格好で浮いた感じだ。小さいみかんを探してこよう。でもまあまあいいかなと我ながら思う。今年も色々つくったけれど、この鏡餅は特にお気に入りだ。作っている時から楽しかったのだから当然だけどね。(中に何を入れたのかは秘密。)

    新年を迎えて「今年こそ」という気持ちが強い。「今日こそ」「今週こそ」「今月こそ」の続きなのでなにも変わっていないようだけど、今年こそは本当に「今年こそ」なのだ。このところ欲が深くなってきていて、生命力がみなぎっているような気がするし、何かできそうな予感がしている。やりたい事はいっぱいだけど、それら全部をやる一年にしたい。

  • 陶製鏡餅制作中

    Ceramic kagami Mochi 陶製鏡餅

    正月に向けて鏡餅を作り始めた。去年も作ろうと思いついたけれど、時すでに遅しだった。正月に間に合わせるには早いうちに作り始めないと完成が間に合わない。反省を生かして今年は早く作り始めることにした。季節を先取りするというのはそれだけでワクワクする。

    この鏡餅は上の餅を持ち上げると入れ物になっているというようにした。最近はずっと蓋物に凝っているので鏡餅のことを思い出した時にも、まず蓋物にしようと考えた。粘土を鏡餅の形にして、上下に切って中身をくり抜けばいい。蓋物を作るときに苦労するのはいつも同じで、くり抜いているうちに形が崩れたり、合わせる部分がぴったり合わなったりというところだ。今回はとりあえず上下がはまったので、大丈夫だろう。少しづつ上達してきたような気がする。

    素焼きのあとに掛ける釉薬も自分で作りたい。このあいだ手に入れた籾灰を使えば、たぶん白萩釉のようになるはずだ。がんばって釉薬もテストして、正月までに間に合わせたい。それに鏡餅の上にのせる蜜柑も作りたいなあ。せっかくだから、おせち料理も焼き物で作ろうかな。正月まで忙しくなりそうだ。