投稿者: 玉井 裕也

  • CanCam!?

    おいおい。CanCamってなんだよ。キャンキャンっていうからCanCanだとずっと思ってきたのに、CanCamって。これじゃ、キャンキャムだよ。あわてて姉キャンを調べたらAneCanなんだってさ。Canを取るかCamを取るか、難しい問題だよねって気になったのに、説明もなくAneCanと言われて納得できるはずもない。

    このCanやCamって何かを省略したものなのだろうか。絶対にそうあって欲しい。意味もなく語呂だけでCanCamって名付けたのだったらかなりのものだ。Can=(助動詞)できる、Cam=Camera、と瞬間でも感じてしまった私はどうかしている。それでも何の意味もなくいきなり「キャンキャン」をひねり出したというのではどうにも納得できない。なにか理由をつけて欲しい。

    そういう意味でJJなんてもってのほかだ。JJという言葉を暗誦するたびに頭の片隅にフッと浮かんでくる川平慈英兄弟を消すにはJとJに何か意味付けが欲しいのだ。JapanJapanでもJoshiJoshiでもJaraJaraでもいい。どんなにくだらなくてもいいから。どうして同じのを繰り返してしまうんだろう。発音が同じなら元の言葉も一緒であって欲しいと思うのだろうか。そういう点でもキャンキャンがCanCanでなくCanCamだというのはやっぱり不思議なんだよね。

  • 家を借りた

    家を借りた。

    とりあえず生活ができるようになるまでいろいろな準備しなければいけない。

    面倒くさいけれど、その後は楽しいはず。

  • ショートソング

    フリーなときは自然と本を手にとって読むことができる。フリーというのは本当にフリーで、何からも解放された時だ。まるでゴールを決めたサッカー選手のような躍動感で両手を突き上げ「フリーダム!!」と叫びたくなるような時のことだ。ツンドクになっている本に手を伸ばすことができるのはこういう時だ。

    枡野浩一の「ショートソング」という小説を読んだ。「ショートソング=短歌」だと気がついたのは読み始めてからだった。俳人だとか歌人だとかそういういう人達はたった17文字や31文字の中だけでものすごいことを言ってしまう。その言っていることを説明するには17文字や31文字では当然無理なことだし、原稿用紙が何枚あってもやはり無理なことだと思う。おそらく日本語が持つすべての言葉を使って説明しようとしても言葉の網目に引っかからずに擦りぬけてしまうような感情などをなぜだか言い尽くす術を持っているのだろう。

    そのショートソングの中で気になった歌の一つが

    無理してる自分の無理も自分だと思う自分も無理する自分

    だ。私はもともと短歌に限らずこういう言葉遊びのようなものが好きなのだけど、ちょうどこの中ではまさに自分がこれまでうまく説明できない言いつくせないでいたことを現してくれているように思う。これまで自分では表現できなかったことを代わりに表現してくれる人という存在を見つけたときに私はとても興奮するし安心したりする。心のなかで溜まっていったなにか未消化なままの残骸をすべて掃き清めてくれるような感覚が得られる。たぶん物の好みというのはそういう事なのではないかと思う。芸術的な作品でも何でも自分が好きだといえるものというのは技術的な未熟さゆえに表現できないものを代弁してくれているもののような気がする。

    私が歌人や俳人の小説や随筆を好きなのはそういう感覚を得られやすいからかもしれない。「あー、それそれ、それずっと思っていたんだよね」と唸りたくなることを書いているのを見つけたらすっきりと体が軽くなる。枡野浩一の歌や文章に共感するのはたぶん、私自身と重複する部分を持っているからだろう。無意識のうちに共有する部分を持つ人を見つけたり、そういう人と話をするとスッキリするのはそのためだ。それならそう言うのもを定期的に見つけられればいつも体が軽くていいのにとおもうのだけど、そこまでの効力があるのだろうか。そんなこと考えていたらかえって悶々としそうだけど、たまにはそういうことを考えてみてもいい。

  • 九成宮醴泉銘

    Suzuri 陶硯

    本屋で、最新号のPenのが書道を特集していたので思わず買ってしまった。いつか書いたように、私は中学の時に書道部で、高校の芸術の授業も書道を選択していた。だけど、消去法的に選んだだけだったので、当時は上達しようという気持ちがたいしてなかった。そのせいで、いまも下手で、あの時間はいまとなっては何の達成感もない記憶にしかなっていない。そうはいってもやはり、美しい文字を書きたいと急に強く感じるもので、本屋でそんな本を見つけては手にとってしまうなんてこともある。

    写真はというと、しばらく前に陶芸教室でつくった陶硯である。文房四宝のなかでだれでも簡単に作れるのは硯だろう。余っていた上信楽の土に黄瀬戸をいい加減に掛けてけただけのものだけどたぶん硯として十分に使えるとおもう。まだ使っていないのでまっしろなのだけど、ところで陸の部分というのは釉薬をかけるものなのだろうか。水滴がなぜかセットになっている織部の硯の写真を見ると釉薬がかかっているようなかかっていないような。墨をするにはザラザラしていないといけないような気もするし、筆が痛まない程度にツルツルでないといけないような気もするし。

    せっかくだから使わなきゃと思ったので物置や押入れを探した。けっこう色々出てくるものだ。モノを捨てられない性格なので、古いものでも記憶に残っているものはたいてい家のどこかに残っている。何年も使われていないカチンコチンの筆が数本と、貰いものの墨が1本、そして練習用の半紙が二束も出てきた。そしてこの自作の黄瀬戸陶硯で御宝が四種そろった。見るからに習字教室時代のものと思われるラインの入ったフエルトの下敷きも見つかったし、意外になんとかなるものだ。手本もどこかにあったはずと本棚を探して見つけたのが、欧陽詢の九成宮醴泉銘だ。これはまた懐かしい物が出てきたものだ。

    小学校や中学校の国語の時間にはいつも漢字テストがあった。マンガのタイトルみたいだけど、「トメ、ハネ」は大事だと習っていて、間違えるとバッテンがつけられた。それなのに、こういう書道のお手本をみると、滅茶苦茶なのだ。トメがハネになっていたり、ハネがトメになっていたり。妙に変だなあと思うと、一画抜けていたりというのもよくあった。変だぞ変だぞと、そんな事ばかり考えながら書いていた。さっきpenの書道特集を読んで、「なーんだ、好き勝手に書けばいいんじゃないか」と勇気が出てきたのだ。高島屋の魯山人展を見てからも書道をもう一度やってみたいなと思っていたところなのでいい機会かもしれない。

    更に色々さがしまわったら書道の授業でつくった篆刻の作品まで出てきた。「2年1組玉井裕也」というシールが貼られたままだ。penの特集にあった王羲之の「奉橘帖」にしても蘇軾の「黄州寒食詩巻」にしてもハンコがベタベタ押してある。1月3日ぐらいに届く年賀状のようだ。決まりなんてないんだろう。芋判みたいなのもそこら中に押してあるので、こちらも実は好き勝手やればいいのだと感じた。ちょっとまえに買った唐詩の本から好きなのを選んで芋判を押せば完成だろう。陶印を作るというのもよさそうだ。

    そういえば、あのころ、行書も何か書いていた。書家の名前は全然わからないけれど、本を読むと聞いたことのある名前がときどき出てくる。もしかしたら王羲之の蘭亭序だったかもしれないなあ。蘭亭序という名前は聞いた記憶がある。(苗字が一文字の中国人の名前はみんな書家に見えるし、詩人に見える。羨ましい。)楷書はまだしも、行書は本当に嫌いだった。頑張れば頑張るほどバランスの悪い文字になっていったことを思い出した。なんども叱られた記憶があるし、いまでも行書は好きになれない。それに引き換え九成宮醴泉銘はいいなあと思う。叱られたよりも誉められた記憶のほうが多い。カチンコチンの筆がほぐれたら書いてみようと思う。

  • MP3 AAC…iTunes Plus?

    音楽のことはよくわからないし(音痴だし)、未だにCDダブルラジカセを使っているので関係なかったのだけど、mp3プレイヤーの時代になってから、なにかと気になっている問題がある。CDをどう取り込んだらいいのかということだ。

    はじめて手にしたMP3プレイヤーがRioのSU10というのだったこともあって(そもそもmp3プレイヤーと呼んでいるのだった)、mp3に変換していた。wmaでもいいということだったけど、mp3プレイヤーという名前に憧れてmp3を選んでいた。ビットレート128kbpsだった。これは今までずっと同じだ。

    そもそもこのRioのSU10なんていうモノを買ったのはただ単純に、近所のギガスデンキでワゴンセールされていたからその場の思いつきで買ったというだけなのだ。だいたい「ギガスデンキ」ってなんだったのだろう。今にして思えば「ギガス」って名前は時代の先端をいく良い名前だったと思う。(ギガ〇〇スのはしりだと思う)

    そんな、いきあたりばったりで買ってしまっただけのRio SU10のせいで今だにmp3 128kbpsにしているのだ。Windows Media PlayerでもRealPlayerでもなくiTunesなのに、いまだにmp3で取り込んでいるのはどうなんだろうと思ってiTunesの「設定」の「インポート設定」をみたら、mp3の他にAACやらなんやらワケの分からないのがいっぱいある。いみつからないWMAといういうのは絶滅のようだ。Appleロスレスって何だと調べると、音が全く劣化しないものらしいと分かった。256MBのRio SU10の時代ならそんなことしたらCD1枚分も取り込めないだろう。だけど、いまやギガスの時代だ。圧縮しないでそのまま取り込むという選択もアリなんだろう。

    そんな選択肢の中で、ひときわ気になる文字を発見した。「iTunes Plus」だ。不覚にもカッコいいと感じてしまった。ギガスカッコいいっすと思ったのでこれを選んでみた。いったいなにが違うだろう。しばらく使ってみて違いがあったらまた考えなおして、違いがなければかっこいいiTunes Plusで行こうと思う。

    (ケーズホールディングスの下にギガスデンキがあると聞きました。だからギガスデンキは今でも存在するのかもしれません。ギガント)