投稿者: 玉井 裕也

  • メリークリスマス

    Weihnachtszeit / old fashioned christmas time
    Creative Commons License photo credit: Libär

    もうクリスマスが終わって26日になってしまったのだけど、気にしない。僕は厳格なキリスト教徒ではないから細かいことは気にしてない。厳格どころか信者ですらない。神棚と仏壇のある家に生まれたから、むしろそっち方面だ。

    戦場のメリークリスマスという映画を見たことがある。それ以来、いつかは「メリークリスマス、ミスターローレンス」と言いたいと思っていた。そう言う機会を密かに窺ってきた。しかし今年もその機会を逃してしまった。残念だ。また来年こそはそういう機会を作ろう。誰かが部屋から出て行くところを呼び止めて、なんて都合のいいことは滅多にないのだ。

    あと1週間でカレンダーも終わりだ。やりのことしたことが多いのでもう少し延長をしてほしいと考えている。カラオケボックスの「残り10分です」のコールのようだ。まだ何曲も予約が入っているなんてときはどうしたらいいんだろう。やはり、そんなコールを気にせず歌うしかないのだろうか。困った困った。

  • ポッドキャストはじめました

    the mrbrown show: Podcast Studio v4
    Creative Commons License photo credit: mr brown

    しばらく前に腕をけがをした。キーボードに文字を打つのは難しい。とても骨の折れることだ。そうでないときでも何か文章を書くというのは本当に疲れることだ。何を書いても気に入らないことばかりだし、消してしまってまた書き直してなんてことを繰り返すだけだ。何度も書き直しているうちに「やーめた」ってことになって全く更新できずに時間だけたってしまうのが続いている。いっそ書き直せないようにしたらすっきりとするのじゃないか。そんなことを考えているうちに、ポッドキャストにしようと決めた。

    実はずっと前に気になってやってみようとしたことがある。そのときは自分の声を聞いて気持ち悪くなってすぐに消してしまった。だからまだれにも聞かれていないと思う。いま、ケータイから見てくれているひともいるのでもしもケータイから聞けないのなら申し訳ないと思う。たまにはパソコンからみてもらったり、ケータイ用にあるポッドキャストのアプリがあればインストールして聞いてくれたらうれしい。

  • ケータイのストラップ

    ストラップ
    Creative Commons License photo credit: kirainet

    ケータイにはストラップがついているけれど、何の為にあるのかよくわからない。昔のケータイの取扱説明書にはたしか「通話の時はストラップに腕を通して使用してください」なんて書かれていたような気がするけれど、そんなこと納得できない。腕を通そうとして持ち換えたりすることのほうが、落下させる原因になりそうなものだ。これはやはりケータイのストラップというのは、飾りなのだろう。それ以外に役割を与えたことがない。

    そうはいいながらも、私は10年以上携帯からストラップを外したことがない。土産物売り場に立ち寄ると、必ずと言っていいほどご当地キャラのついたストラップが売られていて、そしてまたなぜだかそれを手に取ってしまう。私のケータイにつているのもサントリーの山崎蒸留所で思わず買ってしまったものだ。これは手を通す穴が小さくて指が三本しか通らない。そういえば以前は首にかけるわけでもないのに、ネックストラップをつけていた。長いストラップのほうが、鞄の中で迷子になった時に見つけやすかったので、重宝していたような気がする。だけど、それ以外のときには邪魔なことが多くてやめてしまった。

    ところで、ストラップを取り付ける位置についてちょっと気になることがある。たいていのケータイには取り付け用の穴が付いていると思う。私がいま使っているノキア製のN82ではケータイを正面から見て左上に穴がある。これって適切な位置なのだろうか。ストラップに腕なり指をかけて使えというのなら左下か右下のほうが便利じゃないのか。ネックストラップならなおさら下のほうに付いていたほうが首にかけたケータイを手に取った時に画面を見やすいと思う。前に使っていた702NKには右と左の二か所にストラップ用の穴が付いていた。右利きでも左利きでもという配慮なのだろうか。ケータイのストラップは飾りであると考えるなら、一番目立つ所につけたほうがいいということになるかもしれない。ストラップ用の穴が二つあるならストラップも二つ付けるのがいいのかもしれない。ケータイなんて持ち歩くよりもどこかに置いておく時間のほうが圧倒的に長いのだから、その置いておく時の見栄えが良くなるようにするべきなのかもしれない。というわけでなにひとつ結論は出ないのだけど、土産物屋でストラップを選ぶときにはいさぎよく見た目重視で選べばいいのだろうと思う。

  • 週刊漫画TIMES

    このところコンビニの雑誌コーナーが気になって気になってしかたがたない。とくにマンガ雑誌のコーナーが気になっている。やはりモーニングやビッグコミックオリジナルは面白い漫画が多いと思っているので、いつもついつい手に取ってしまうものだ。そういえば、社長になってからの島耕作はいまいちだ。イブニングのヤングのほうが面白い。

    そんなマンガ雑誌のなかでも、「週刊漫画タイムス」はちょっと手に取りにくい雰囲気を醸している。どの雑誌も表紙は力を入れていて、その雑誌の連載漫画の中での一押しを出してくることが多いと思う。それなのに、週刊漫画タイムスは妙にリアルな女性のドアップのイラストである。その色遣いがなんとも不気味で手に取るときには、誰かに見られないかときょろきょろしてしまう。少年誌のグラビアもいやだけどそれどころではない。なんでこんな絵にしているのだろうと思う。この絵のせいで、変なお色気漫画しかないと思われて、損しているように思う。

    肝心の中身はなかなかよくて、昼ドラや深夜ドラマの原作になっているような人気作品もある。もちろん、予想通りのお色気漫画もあるのだけど、少年漫画誌んくらべればまだましだと思う。少年漫画誌はすでに少年向けでないほど下品になっていたのには愕然とした。あれでは二度と手に取らないと思う。だけど、週刊漫画タイムスはそんなこともないので一度手に取って見る価値はあると思う。

    ちょっと検索したら、あの何とも言えない週刊漫画TIMESの表紙はギネスブックに認定されているらしい。そんなところまでギネスさんはみているのだろうか。ギネスさんも最初はちょっとおどおどしながら、周りの目を盗んで手に取ったのだろうか。ギネスさんもなかなかやるものだなと思った。

  • 見たことがあるようで違う茶碗

    鼠志野茶碗

    どことなく見たことが、あるような、ないような、鼠志野の茶碗だと思う。銘は潔く「峰紅葉」だ。本当のことを言うと、この茶碗は陶芸体験教室で作って、つい最近になって完成して送られてきたものだ。形は全く似ていないけれど、そういうことを気にしてはいけない。

    陶芸「体験」なので、茶碗を作る過程で私がやったというのはろくろで形を作るだけだ。だから形はまったく似ていないのだ。ろくろでこれだという形が決まったら、釉を自分で選ぶことができた。形が決まったといってもこれ以上触ったらぐちゃぐちゃになりそうだから手を打ったというほうが正しい。ともかく釉薬は鼠志野を選んだのだけど、そのときに思い出したのが峰紅葉という名のついている茶碗だった。正直にいえば、鼠志野の茶碗といって、これしか浮かばなかっただけなのだけど。直前に本で見たのがその茶碗だったのだから、そんなもんである。ともかく「亀甲の絵の有名な茶碗で・・・・・・」と言ったら「峰紅葉ですか」と言ってもらえた。そんないきさつから、「そんな感じに仕上げてください」と頼んでしまったのだ。

    それはさておき、愛知県陶磁資料館では10月3日から11月23日まで「志野・黄瀬戸・織部のデザイン」が開催されていて、そのなかに峰紅葉の茶碗もあるみたいだ。ほかにもいろいろあるみたいで、美濃焼の茶碗が大集合という感じなので、なんとか足を運びたいと思う。やはり、写真で見るのと、本物を見るのとではなにかが違うらしいということが分かってきた。たとえガラス越しでも感動できるのはやはり本物なのだ。そのときはわけがわからず周りに合わせて感嘆しておくとしても、あとからじわりじわりと思い出しては膨らんでくるなにかがある。ますます行ってみたくなってきた。