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  • 没後50年北大路魯山人展

    JR名古屋高島屋で北大路魯山人展をやっているというので行ってきた。実は去年21年の6月に岐阜市歴史博物館で魯山人の宇宙展をやっていたのに行きそびれてしまったのだ。それ以来、あの時のチラシが頭の中から離れなかった。

    魯山人につきまとうエピソードと、作品から私が得た感想は全く逆のものだった。魯山人は本当のところは立派な常識人だったのだろうと感じた。人にどういう印象を与えるかを相当に気にしていたように思う。何かからはみ出すということを極端に嫌っていたのかもしれない。加えて、魯山人は洗練された都会人だなとも思った。いろんな装飾のある器が多いけれど、どれをとっても全く嫌味がなくて上品なのだ。ここを越えたらダメになるという線を知っていて、それを決して越えない人なのだ。

    今回の展覧会のチケットにもあった金彩雲錦大鉢は期待通りに輝いていた。ただ個人的にもっとも圧倒されたのは昭和25.6年の作の書で、竹林図屏風の良寛の詩だった。魯山人は元は書家であるから当然ながらいいものばかりだから、どの書の前でも私は長いこと足を止めて見てしまった。

    そのとき、中学時代に私は書道部にいたことを思い出した。あの時もっとまじめに習っておけばと後悔した。自分がもう少しでもまともに書くことができたなら、今でも気楽に筆をとったり墨をすったりということもあったはずだ。それに今回も魯山人の書を見たとき、もっと強く感動できたかもしれない。

  • 九谷光仙窯

    九谷光仙窯

    愛情物語を見て、原田知世もいいけれど渡瀬恒彦はもっといいと思った。アイドル映画ではその相手になる俳優が大切なのだ。それはさておき、映画の中で「あしながおじさん」の居場所を知りたい主人公が、プレゼントの花束の送り主であるあしながおじさんの住所を花屋から聞き出そうとするシーンがあった。その住所というのが渡瀬恒彦が働く九谷焼の窯元という設定だ。そこはどうやら実際に存在する九谷焼の窯元らしいということがわかったのでいってみることにした。

    私が訪ねたのは九谷光仙窯というところだ。なかなか広いところだった。予約をして行ったので見学もさせてもらえた。なかには九谷焼の歴史などの展示もあったし、いろいろと説明もしてもらえたので勉強になった。これまで上絵のことをなにも知らなかったので楽しかった。それにしてもあの原色の色鮮やかな九谷をあんなにたくさん見られたのはよかった。海外でも大人気という九谷の秘密がわかったような気がして嬉しかった。

    絵付け体験コーナーがあったので、迷わず申込んだ。むずかしくてヘンテコになってしまった。青海波を書こうとしたのにグニャグニャになってしまい、まるで病気の金魚のウロコみたいなのだ。その湯のみもすでに完成して届いているので、そのうちにこのブログにアップしたいと思う。

    目的のもう一つである映画の舞台をたずねるという目標も達せられた。原田知世がかばんを置き引きにあった路地も発見できたし、渡瀬恒彦がひいていたロクロの位置も確認できた。実際にその風景の中に自分が立ってみたり、撮影の当時の光景を想像したりしするのはな楽しいものだ。面白そうな映画を見つけたらまたその場所を訪ねてみたい。

    九谷光仙窯

  • 愛情物語

    愛情物語という映画を見てしまった。わたしはずっと、こういう映画は見てはいけないと考えていた。角川春樹だとか赤川次郎だとか、そういうのは何のポリシーも持たない連中が見るものだと長いこと信じていた。だけどいつごろからかそういうのこそ見た方がいいんじゃないのかという疑問が増してきた。キーワードひとつで選んでしまう今は、マイブームということだろう。

    角川映画と言うのがまず、引っかかっていた。角川映画って一体なんなんだって聞かれても、うまく答えられる人は少ないだろう。だけど、角川映画ってああいうのだなとたいてい思い浮かべることはできる。「ああいうの」が好きになれなかったのに、今は大好きなのだ。不思議だ。角川春樹ってカッコいいとさえ思う。それから赤川次郎の小説と言うのも昔は好きになれない気がしていた。赤川次郎の小説そのものというより、赤川次郎の小説を読んでいるという人達が好きじゃなかった。クラスにかならずいる赤川次郎が好きな女の子って、自分とは決して話の合わない人たちだと思っていた。今更に好きになるというのはなぜだろう。

    それでこの愛情物語では例のごとく原田知世が出てくる。話の途中で脈絡なくミュージカルシーンが始まる。こういうのもおもしろい、と思うようになってしまった。設定の一つ一つが飽き飽きとするもので以前なら耐えられなかっただろう。そんなベタの波状攻撃に耐えられるようになったのは自分自身の成長のおかげだと考えることにしている。

  • 川喜田半泥子のすべて

    「川喜田半泥子のすべて」展のことを書かねばなるまい。間違いなく去年見た企画展では一番だった。ダントツの一番だった。もう一回ぐらいは見ておかならければと思う。岐阜県現代陶芸美術館からはじまり現在も巡回中で東京、横浜、山口、さいごに三重に帰ってくるみたいだ。

    何でもありでやりたい放題なものをいきなり見せつけられた。悪ノリかよというのもあった。遊びゴコロが最高に嬉しくて私はなんどとなく繰り返し感動した。半泥子と言う人は絶対にもう楽しくてたまらなかったのだ。笑いをこらえながら作ってたかもしれない。銘の感覚がこれまた痛快でいいのだ。とにかく半泥子をうらやましく感じた。

    自分の家に近所のお百姓を呼び出して、茶を点ててはのませていたらしい。その前で、あられを口にほおばって茶碗を片手でつかんで飲み干してみせたそうだ。何でもありなのか、そもそも何も無いというべきなのか、いやいやそういうことじゃないんだ、と妙に納得した展覧会だった。

  • 美濃陶芸庄六賞茶陶展

    このあいだ、岐阜高島屋にいったら美濃陶芸庄六賞茶陶展が回ってきていたので立ち寄った。時刻も遅く混雑していなかったので、ゆっくりとみられてよかった。それにしても有名作家の作品は高い。どうやって値段を付けているのかわからないけれど、そんなに高くなるものなのか。茶碗は特に高い。となりのぐい呑みにいくと十分の一ぐらいの値段だ。ぐい呑などの酒器をコレクションするという人の理由もそこにあるかもしれない。

    美濃陶芸協会のページにのっているとおり、今回の庄六賞は耀彩天目の水差しだった。天目っていまいちわかんないなあ、とずっと思っていたんだけど、天目にもいろいろあってけっこうおもしろいと感じて気になっている。コラムのとおりで、岩田渓山の耀彩天目は闇夜の星のようだった。ところで〇〇天目っていうものには何種類ぐらいあるのだろう。

    最近気になるのが黄瀬戸だ。このあいだ教室で作った一輪挿しに黄瀬戸をかけたらなかなかいい具合に濃淡が出てしまった。下手なだけでも、それもそれでよく出来のはうれしい。でもこういう所で見る黄瀬戸はそういうのとは全く違う。今回の庄六賞茶陶展にも安藤日出武の黄瀬戸の茶碗があった。いわゆる油揚手というのがこれなのか。ブツブツとザラザラがいい。そういえば写真で見た加藤唐九郎もブツブツザラザラしていた。これは黄瀬戸なのか。自分が黄瀬戸じゃないのか。

    こういう展覧会はいろいろな人の作品をまとめてみられるのでおもしろいとおもう。いろいろありすぎて混乱して帰ってくることも多いけれど、いろいろな人の作品を比較してみるのは勉強になる。どからどこまで存在しうるのかとうことをちょっと知ることもできる。