明智光秀公の話

1582年の6月2日に本能寺の変は起こったらしい。ということは1582年の今日の天下人とは明智光秀公だったのだ。本能寺の変が起こった成り行きについてはこれまでにもいろいろな物語が作られている。そのどれもがおもしろい。とはいえ、天下を自らの手に入れるという野望をついに果たしたのだと私は思っている。

同じ山県の出身ということもあり、明智光秀公に対しては以前から私は勝手に親近感を寄せている。三日とはいえ明智光秀公は天下を取った。三日でなくてもいい、三分でいいから天下をとりたいものだ。偉大な故郷の先輩を目標に、本能寺の変のため、私も準備を怠らぬようにしたい。

Comments

“明智光秀公の話” への4件のフィードバック

  1. 赤い水性ペンのアバター
    赤い水性ペン

    美山には明智光秀の墓と

    光秀の母が

    「この子が三日でもいいから天下を取れますように」

    とお祈りした行徳岩があります。

  2. 玉井 裕也のアバター

    国道256号線から少しそれたところですよね。
    美山第一トンネルと第二トンネルの間だったでしょうか。
    わたしも何度か行ったことがあります。
    http://www.flickr.com/photos/tamaiyuya/sets/72157617854059181/

    ところで、明智光秀公の義弟、明智孫十郎直経の墓というのはどこにあるかご存知ですか。
    いまだ見つけられませんが、もしもご存知でしたら教えてください。
    もしかしたら、路傍のお地蔵さんみたいな感じでしょうか・
    http://www.flickr.com/photos/tamaiyuya/3517618963/

  3. 赤い水性ペンのアバター
    赤い水性ペン

    残念ながらわかりません。

    実家はそのあたりまで車で5分くらいのところですが。

    探してみたいですね。

    大桑の城山も登ってみたいですね。

    伊自良湖のあたりに、楠木正成の妻の墓があると聞きました。

    ご存じですか?

  4. 玉井 裕也のアバター

    なんと、楠木正成夫人のお墓まであったとは!
    検索したらいろいろ出てきました。
    http://gifu-yamagata.jp/kusunoki.htm
    伊自良湖は親戚が近くにいたこともあり何度も行ってます。
    おそらく長滝の七社神社とは伊自良湖へ登って行く途中の曲がり道の脇にある小さな社で通り過ぎてしまうような感じだと思います。
    伊自良湖の奥に甘南美寺というお寺がありますが、古刹という言葉がぴったりの場所で、松尾芭蕉にもゆかりのあるところです。ここは桜も紅葉もきれいです。
    この甘南美寺の奥の院というのが楠木正成が夫人久子のいたという場所だそうですね。色々あるものですね。
    ともあれ、百聞は一見に如かず、いつも通りすぎていましたが今度は立ち寄ってみます。
    ちょっと寄り道して写真でも撮ったらここにまた報告します。

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