敦煌

そんなにたくさんの本を読むのはなぜかと聞かれて、何度も読みかえしたくなる一冊を見つけるためだと答えた人がいた。あなたにとって何度も読み返したくなる本とは何だと聞かれても、私は答えにつまるだろう。そんな本に出会えたら幸せだろう。

ついこの間、本棚に井上靖の「敦煌」を見つけて、思わず読み返してしまった。この小説を初めて読んだのはそんなに昔のことではない。その時も、なぜだか急に読みたくなって本屋で買ってきたのだと記憶している。ところで私が小学生のころ、「敦煌」という同名の映画が公開されていた。その後テレビで放映されたものを私は見たのだけれど、それだってもうかなり昔のことだ。それなのに断片的な記憶はまだしっかりと残っていて、映画のいろいろな場面を小説を読みながら思い出した。

ともかく私はこういう小説が好きになってしまったようだ。この本では趙行徳という人間が色々な人間に出会い敦煌へと導かれていく。そんな趙行徳の生き方にあこがれながらも、運命とはそもそも何なのかというようなことを考えてしまう一冊だった。

黄金の信長像

黄金の信長像が岐阜駅前に建立されることになっている。しばらく前に新聞記事にもなっていたので気になってはいたけど、つい先日岐阜駅にてその場所が確保されていることを見て感激した。県都岐阜の玄関口についにそんなものができるということに喜ばずにはいられない。

南蛮趣味の信長公らしいものができるという。天下布武の旗印なのだからド派手に作ってほしいものだ。岐阜に降り立った瞬間、まっさきに目に入るのがこの黄金に輝く信長公なのだ。岐阜に来訪する人の心を鷲掴みにするものができることを願う。平凡な銅像の置かれた駅は全国にあるけれど、そんなものはいらない。そんな平凡なものは信長公にはふさわしくない。日本の中心たる岐阜から天下に号令する信長公であるなら、とにかく目立つことが大切だ。あまりの奇抜さに卒倒するぐらいがちょうどいい。

信長公の銅像を贈る会によると、

 岐阜市は、市制120周年という節目を迎え、県都の玄関口であるJR岐阜駅北口駅前広場が、今年の秋、いよいよ完成すると伺っております。その記念すべき年に、郷土の誇りである織田信長公の銅像を、北口駅前広場に寄贈したいと考えております。

 信長公は、永禄10年(1567年)「井の口」から「岐阜」へと地名を改めた「岐阜」の生みの親であります。また、楽市楽座など、新たな政策を取り入れ、岐阜のまちの発展に尽力した、岐阜の最も有名な人物のひとりです。

 寄贈する信長公の銅像は、マントを羽織り、右手に種子島、左手に西洋兜を持ち、その姿は常に時代の最先端を歩いた信長公の『変革』の象徴であり、都市再生を図る岐阜市の未来を表現するものとなっています。

 岐阜公園には、市政100周年を記念して、岐阜商工会議所から寄贈された、馬にまたがった「若き日の信長像」があり新しいまちである岐阜駅周辺と歴史ある岐阜公園周辺が、これら2つの銅像によって結び付けられる事により岐阜のまちが更に発展することを期待するものであります。

期待は膨らむばかりだ。とりあえず我々も寄付をせねば。

ブックオフ・使用上の注意

ブックオフは我らの味方である。とくに105円コーナーは強力な味方である。しかし、安いからとカゴについついいらない本まで放りこんでいることには注意しなければならない。本が安いからとブックオフに行くのに、お金を節約しようとブックオフに行くのに、いらないものまで買ってしまうのでは本末転倒だ。定価で買わないような本なら、安いからといって買う理由なんてないのだ。

読みもしない本を買う割合が多いのもブックオフだ。本屋で定価で買えば、たいていその日のうちに読み始める。だけど、ブックオフで買った本はその日のうちには読み始めない。なぜだ。本屋と違ってブックオフだと一度にまとめてビニール袋いっぱいに何冊も本を買ってきてしまうからだろう。本屋だとたいてい一日に買うのは一冊だけだ。読み切れない本を買うから本棚があふれてくるのだ。読まないから印象に薄いからまったく同じ本を二冊買うなんてこともある。

ブックオフで激安だと思って買ってきた本を偶然にアマゾンで検索し、マーケットプレイスに1円で売られているのを見つけるなんてことがあるともう憂鬱で仕方がなくなる。これだけはやってはいけない。ブックオフで買ってとりあえず積読しておいた本を次の日に図書館で発見してしまった時もいけない。そういう時ははやいうちにその本を読んでしまうに限る。そうしないと、図書館に行くたびその本が憎くて、そのうち夜も眠れなくなる。

まとまりのないはなしだけど、余計なものを買わないということなのだ。エコドライブというのも結局よけいなところに寄り道しないのが一番のエコなのだ。