TSUTAYAのCD5枚で1000円キャンペーンにつられて矢野沙織のCDを借りた。報道ステーションのオープニング曲「Open Mind」のサックスのほうらしい。名前を聞いたことがある程度で何も知らないのネットで検索したところブログが見つかった。
「統計から見る偏見」というタイトルで無茶苦茶なことが書いてあった。無茶苦茶なことを書けるってすごいなあ。こういう無茶苦茶なことを言い合うことは楽しいんだよねと思った。それに、こんなことを言ってしまう女の人は好きだなあとも思った。
1月8日はエルヴィスの誕生日だった。そういうわけなのか今月はエルヴィスの曲をよく聞いているような気がする。やはり「Elvis: 30 #1 Hits」が何度でも聞く一枚なのは以前にも書いたとおりなのだけど、その30曲の中でもいま一番は「It’s Now or Never」だ。エルヴィスのカンツォーネの曲はみんなヒットしていて、そんな中でも「It’s Now or Never」は1000万枚以上売り上げた大ヒット曲らしい。2年ほど前にお酒のCMでも使われていたと思う。
「It’s Now or Never」 というのは、「今しかない」という意味なのだろうけど、そんな「Now(今)」なんてほんとうにあるのかな。「今」がその「Now」だと思えれば何度でもいつでも「Now」になるのだろうという気がする。「Now」を過ぎてしまったら「Never」だなんてことはないと思う。そうはいってもやはり、(むしろ、そうだからこそ)「It’s Now or Never」という気持ちでいなければと思う。
アメリカの先週の今日は、キング牧師の日だったらしい。僕がネットで”I have a dream”の演説を見つけたのも偶然ではないかもしれない。英語だから何を言っているのかよく解らないけれどかっこよかった。キング牧師は夢があると言っていた。夢があると誰かに言えるのは実はかっこいいことだ。その夢のことを大勢に話せるなんて本当にかっこいいことだ。僕は夢があるのかどうかも分からないし、その夢を誰かに話すなんてできるのか自信がない。
先月、名古屋までハッピータンゴアワーという公演があったので行ってきた。もちろん私の目当てはバンドネオンの小松亮太だ。
「昔は無名曲だけを演奏するコンサートなどもしていたんですが・・・今回は有名曲ばかりです」という通りのステージで、私は大歓迎だった。アンコールの一曲目もラ・クンパルシータだったりと、そのほかも曲名をアナウンスするたびに客席から待ってましたという空気が湧き上がっていたけれど、その気持ちは私もほんとうによくわかる。
小松亮太は「この楽器の構成では」と乗り気ではなかったみたいだけれど、須川展也のリクエストだから仕方が無いなあといいながらのスペインもなかなかいい感じだった。チック・コリアさんのスペインそのものも聞いたことがほとんどないのだけど、このバンドネオンにサックスにバイオリンという組み合わせはおもしろいなあとおもった。
このシリーズでは小松亮太は椅子に座らないで立って演奏することにしているということだった。私が行ったのがセカンドステージだったこともあってちょっと疲れているようにも見えた。本人も疲れますと言っていたので本当に疲れたのだろう。サックスとバイオリンが立っているからそれに合わせたのかな。
この日限定のスペシャルカクテルもあった。須川展也は休憩時間に飲んでいたらしい。美味しいのでおすすめですよ、といわれたけれど私は車だったので諦めた。今度行く時があれば車はやめよう。とはいえサインももらえたし、満足満足。
その質問には、少し前から「百姓です」と答えることにしている。アンケートや、会員証を作るときや、なんでこうもみんな職業なんて聞いてくるんだろう。自己紹介してなんでいちいち職業を聞くんだろう。「会社員」とか「公務員」とか、そんなのはせいぜいどこに雇われているか、誰から金を貰っているか、という程度のことなのに。そんな事聞いて何がわかるんだろう。そんな事聞いたってなんにも分かりはしないのに。だいいち「職業は〇〇です」なんて答えなければならないなんてつまらないだろうと思っている。
アンケートではできるだけ「その他」を選んでおく。でも「その他( )」なんて書かれていることが多くて、カッコの中を空欄にするとジロジロみられたりする。なんて面倒くさいんだろう。
なんと答えても面倒くさいことを続けて聞かれるのだから、困ったものだと思う。職業なんて聞くから面倒くさくなるのだからはじめから聞かなくていいのにと思う。そういう表面的なことを聞きたいなら希望に添えるような答えをしてもいいかもしれない。そう言うのを使い分けるのも辛い。それならいっそ、自分の精神の構造を表現できるように答えたほうが、収まりが良いと気がついた。使い分けなくてもいいし、納得できるものだったら自信を持って答えられる。せっかくだからかっこいいものを選ばなくてはいけない。ダサい職業なんてゴメンだ。それに一番の職業は何かと考えた。おそらく自分は「百姓」だと思った。そうして考えれば考えるほど百姓はかっこいいものになっていった。それに「自分は百姓なんだ」と思いこんでいれば、それだけですでに百姓なのだ。
それ以来、僕は百姓になった。百姓なら、なんでもやる、できる。誰と勝負しても勝つ。だから百姓は最高にかっこいい。超ロックのつもりだ。