お茶杓のご銘は?

いまは徳川美術館について予習の最中である。勝本師に教えてもらった徳川美術館の収蔵品はさすがだった。そんな名物ぞろいの収蔵品の中でも特に気になっているのが、千利休の作った茶杓である。つけられた銘は「泪」というから哀しげだ。この茶杓には物語があって…

天正十九年(一五九一)二月、豊臣秀吉に切腹を命ぜられた千利休が、自からこの茶杓を削り、最後の茶会に用い、古田織部に与えた。その後、古田織部はこの茶杓用に、長方形の窓をあけた筒をつくり、その窓を通してこの茶杓を位牌代わりに拝んだと伝えられる。筒は総黒漆塗で、これを垂直に立てると、いかにも位牌らしくみえる。茶杓は白竹で樋が深く通り、有腰で、利休の茶杓の中でもとくに薄作りに出来ている。千利休-古田織部-徳川家康(駿府御分物)-初代義直と伝来した。

なかなか生々しいなということで、なおさらこの目で見てみたい。だが残念なことに現在はこの茶杓は展示されていない。展示の時にもまた足を運ぶことにしよう。

茶杓に限らず名物には素晴らしい銘がつけられている。様々な銘を聞くたびにいろいなことを考えてしまう。写真だけでなく、実際にその茶杓を目にしたら忘れられないかもしれない。

人生意気に感ず

「人生意気に感ず」とは、唐詩選の最初にも出てくる魏徴の述懐の一部である。男というのは意気に感じて行動をするものであるようだ。これは述懐の最後の部分で、続いて「功名誰か復た論ぜん」としてこの詩を締めくくっている。そもそも功名心から行動するものではないのだ。

元はといえば、この詩を最初に知ったのは藤沢秀行という棋士が好きだったからなのだ。彼の本で初めてこの言葉を見つけた。本の題名がまさに「人生意気に感ず」だったのだ。その時すぐにはその言葉の意味はわからなかったけれど、とてもかっこいい言葉だと思った。なんという意味だろうと思っていたら、「述懐」という詩にたどり着いた。

藤沢秀行という人を私は新聞やテレビでしか見たことはないのだけれど、魅力あふれる人であったそうである。色々と人騒がせな人で、逸話も多い。だけど、そんな行動も何か意気に感じるところがあってのことだったのかもしれない。実は、私が囲碁を覚えて間もないころに何度か読んだ本を書いたのがこの藤沢秀行だった。それが理由かわからないけれど、囲碁の打ち方について以外の彼の本もその後も何冊か読んだ。藤沢秀行の盤上の打ち方は異常だったらしいけれど、その盤外の生き方も異常なことが多かった。意気に感ずるというのはどういうことなのか、もういちど考えてみたい。

敦煌

そんなにたくさんの本を読むのはなぜかと聞かれて、何度も読みかえしたくなる一冊を見つけるためだと答えた人がいた。あなたにとって何度も読み返したくなる本とは何だと聞かれても、私は答えにつまるだろう。そんな本に出会えたら幸せだろう。

ついこの間、本棚に井上靖の「敦煌」を見つけて、思わず読み返してしまった。この小説を初めて読んだのはそんなに昔のことではない。その時も、なぜだか急に読みたくなって本屋で買ってきたのだと記憶している。ところで私が小学生のころ、「敦煌」という同名の映画が公開されていた。その後テレビで放映されたものを私は見たのだけれど、それだってもうかなり昔のことだ。それなのに断片的な記憶はまだしっかりと残っていて、映画のいろいろな場面を小説を読みながら思い出した。

ともかく私はこういう小説が好きになってしまったようだ。この本では趙行徳という人間が色々な人間に出会い敦煌へと導かれていく。そんな趙行徳の生き方にあこがれながらも、運命とはそもそも何なのかというようなことを考えてしまう一冊だった。