印旛県

葛飾県は、そのたった2年しか存在せず、明治4年には印旛県に統合された。印旛県に統合されたのは、葛飾県のほか、佐倉県、古河県、関宿県、結城県、生実県、曾我野県の合計7県が統合されたようである。千葉県民だより令和元年6月号によると、おおよそもと下総国の西半分が印旛県になって、残り東半分は新治県として常陸国の一部とまとめられたようだ。そしてこの印旛県も2年後の明治6年には千葉県に統合されて、現在の千葉県が誕生するわけだ。

印旛といえば、印旛沼なのだけど、現在いわゆる印旛地域というのは元印旛郡だった、佐倉とか成田を含む地域という感じである。東京からは佐倉を通って成田へ京成本線が走っていたり、JRも総武本線が佐倉市の方へ通っていたり、千葉ニュータウンこと白井や印西のあたりには北総線や京成成田空港線が走っている。私の家からは車で行くと意外に近いところで、面白いところも多そうなので、遊びに行きたい場所だ。

葛飾県

明治2年になって、下総国はのあったあたりに葛飾県というものが置かれたようだ。現在の千葉県北西部、埼玉県東部、東京都東部や、茨城県西部に相当する地域だったらしい。県庁は流山市立博物館の近くにあったそうで、そこが葛飾郡だったから、葛飾県という名前になったとWikipediaには書かれている。そして、この葛飾県はその2年後の明治4年には印旛県に統合されて消えたそうだ。

葛飾は昔からある名前のようで、たしかに今もいろいろなところで葛の字を見る。私の住んでいる我孫子市も東葛地域と呼ばれている。葛飾北斎も葛飾の人らしい。そのあたりはずっと下総国で、そのあとも葛飾県となっていて、結びつきの強い地域だったのかもしれない。いまも東京都には葛飾区という区があるけれど、そこは葛飾郡や葛飾県のごく一部だったようだ。

地図を見ると、いまは、江戸川がちょうど県境になって、千葉県と、東京都・埼玉県が分けられている。だけど、葛飾県あるいは、下総国の範囲を見ると、昔は荒川が境だったのかもしれない。葛飾区史の地図らはそう見えた。そもそも今と昔では、川の流れている場所もちがうだろうし、埋立て等で増えた土地もあっただろう。

水戸街道は、武蔵野国千住宿を出たら荒川を越えて、次の新宿は下総国だ。その後の、松戸宿、小金宿、我孫子宿、取手宿、藤代宿までは下総国で、たぶん小貝川を超えた次の若柴宿は常陸国なのではないかな。小貝川が下総国と常陸の国の境目のような気がする。気になってきたので、調べたい。